こんにちわ近藤太郎です!
さて先週に引き続き、新しく開発された支持体で絵を描きました。前回は鉛筆でのデッサンを行ったのですが今回はその上から油彩を行いました。画題はマルオカ工業の創業者・湯川保人さんです。少し保人さんの紹介をしたいと思います。
「画材業界人物記」によると大正2年に生まれ、幼少の頃から機械が好きでよく時計を分解したりしていて、大人になってもタクシー会社に勤め仕事の合間をみては車を分解、検査、修理を心掛けお客様に接していたそうです。
昭和13年に召集令状を受け外地へ出征し、昭和18年に内地帰還の命令を受けるのですが帰国せず、ハノイにて現地除隊し穀物商「双葉洋行」を営み、軍関係の物資、食料の納入を主な仕事にしていたそうです。
そして終戦となり郷里に帰ると、弟の木工所を手伝い、昭和22年に創業を決意します。「湯川木工所」として木曽檜を使用し「檜蒸篭(ひのきせいろ)」の製造を試みます。当時は隣村の奈良井が生産地ということもありましたが、機械好きであったため「檜蒸篭」を製造するための機械を開発し隣村の生産量に匹敵する数量を生産するまでになり、出来上がった「檜蒸篭」をオートバイに積んで漆器の産地である木曽平沢へ運んでいたそうです。
しかしプラスティック製品が台頭し「檜蒸篭」に陰りが見え始めた為、これに代わる次なる木工製品を模索していたところ、地元の油絵画家の薦めもあって画枠の製造に取り掛かりました。昭和30年のことです。
ざっと要約し書いてしまいましたが、まさに激動の時代を生き、チャレンジングな精神でモノづくりを行った方だったようです。
今回は波瀾万丈な湯川保人さんの人生の要素から想像でこんな感じだったのかもしれないと絵を描いてみました。木々が生い茂る熱帯のハノイを、「檜蒸篭」をオートバイに積んで走る若かりし頃の湯川保人さんを想像して描きました。ハノイで「檜蒸篭」は作っていなかったのですが、時間を超えて彼の人生を表して見たかったのでそんな感じになりました。これが今回描いた作品です。
ベトナムにいる絶滅危惧種の猿「アカアシドゥクラングール」も左上にいます。
新素材に描いてみた感想ですが元々僕はあまりキャンバスをそのまま使うことはあまりなく、よくキャンバスに大量のボンドをかけ固まったものに絵を描いていたので描いている感覚としてはそれに近かったので僕自身はとても描きやすい支持体でした。というのも画面上で滑るように描きたいというのが僕の希望で、そうすることで支持体の地の白を表現に取り込みながら描き易いからです。またそれにより透明色の発色もとても良い気がします。いわゆる絵の具ベチャベチャ状態でのお汁描きです。
有名な絵描きでいうとエリザベス・ペイトンのような表現がしやすいのかなぁと思います。透明感があって白い光が画面の中を充満しているような。。。彼女もまた平滑な画面で描いていたと思います。
こんな感じで絵は終わったのでした。
また新しく出来た月見皿の撮影を先週行ったのでその写真を一部上げたいと思います。
うわぁ〜甘いもの食べた〜